母の死について

先月の終わり、年の瀬の最中に母が亡くなりました。
年末年始を挟んで、1月5日に無事葬儀を終えることができました。
この記事は、父の時と同様、自分のためのメモです。

父が亡くなって4年半、実家で母は一人暮らしでした。末の妹が市内に住んでおり、立ち寄ってくれることは頻繁にありましたし、私も1、2か月に一度くらい様子を見に訪れていました。また、母は社交ダンスのサークルに入っており、その活動も続けていました。

2022年ごろ、母にはちょっとした異変がありました。

それまでそこそこ使いこなしていたように見えたPCを、うまく使えなくなった、といって触るのをやめてしまいました。とはいえ80歳を超えていましたから、そんなこともあるかな、とあまり深く気には留めませんでした。

また、食事が冷凍ないし出来あいの食品中心になっていきました。家を訪れると、「美味しいのよ」と、紀伊国屋スーパーや通販で売っている餃子や焼売、練製品などを出してくれることが増えました。

そのこと自体は別段、問題があるわけではありません。比較的食事には気をつかっていたはずの母でしたが、父が居なくなって料理を作る張り合いがなくなってしまったのかなと思っていました。

ですが、今から考えると「料理をすることが難しくなっていた」のかもしれないと思います。何を作るか考え、材料を買い、作る。それにはある程度高い認知能力が求められます。一人での食事は冷凍食品で済ませていたとしても、以前の母は息子の私が訪れるときは少しは手料理を出していました。それが、もう難しい状態になっていたのかもしれません。

2023年になると、母の物忘れや認知能力の低下は、近親者の目には明らかになってきていました。とはいえ、家の中は整っており、食事、掃除、洗濯といった日常のことも、買い物も自分でできていました。介護が必要な状況とは言い難く、また本人もそういったことを認めたくはないようでした。

2023年の1月の末頃、母は外で転んで怪我をしました。美容院に行く途中だったようですが、自分で転んだのか、自転車等とぶつかったのか、などは全く覚えておらず、美容院にたどり着いて手当をしてもらっているところから記憶が始まっていました。

夏の暑い日、エアコンを使わないで過ごしているのも気がかりでした。電気代の節約などではなく、暑さを感じないからということでした。熱中症が懸念されるのでエアコンはしっかり使ってもらうようにしていました。

母の一つ違いの姉(独身)は、一緒に高齢者施設へ入居しようと薦めていましたが、母は渋っていたようです。住み慣れた家で、子である私達の母親として生きていたかったのかもしれません。

そして12月26日、母は入浴中に亡くなりました。おそらく認知症は直接の原因ではなく、ヒートショック、すなわち湯につかって血管が拡張し、血圧が急に下がったことが原因で何らかの発作が起きたことが原因と思われます。気を失って溺れたのか、心臓や脳血管の問題だったのかは分かりません。おそらく本人も、何が起きたか分かっていなかっただろうと思います。

前述の妹がその日の夕方に会っており、翌々日の朝に訪れた時には亡くなっていたということでした。警察も、仮に同居していても風呂での事故は発見が難しい、と言っていたそうです。

人生100年時代、なんていう威勢のいい言葉も聞きます。その100年の中で「健康寿命」を何歳まで保てるか、というやや現実的な話も聞きます。

ですが、振り返って自分の両親はどうだったかというと、二人とも大きな病気はしておらず、亡くなる直前まで入院などもありませんでした。全体的には、健康な方だったと思います。

しかし、二人ともポックリという感じで世を去ってしまいました。やはり、高齢者と言っても60代、70代、80代は全く異なっていて、後期高齢者と言われる75歳を過ぎると、めっきり衰えてきた印象はありました。そんな中、たまたま二人とも循環器系の問題が亡くなる直接の原因になりました。

人生設計としては、やはり75歳までにはやるべきことを全て終え、それ以降はボーナスタイムと思っておくのがいいのかなあと思います。はっきり75歳と区切ってみると、長いといってもそれほど長くはないですね。

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